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Carl Boschの人生 その11

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Tshozoです。間が空きましたが前回の続きです。時系列が前後しますが窒素固定の開発を始めたころ、Boschは家庭を持ちます。この後の時期が彼の人生の中で最も幸福で充実した時期であった様子がうかがえますので、技術的なことは何一つないですが描いておきましょう。

趣味:昆虫・魚・小動物・植物・鉱石採集と山登り、そして天体観測

Boschが生涯愛した趣味がこの3つです(天体観測は以前書いたので省略)。特に昆虫は数多くのコレクションをしており甲虫や蝶をはじめとした採集を生涯続けていました。日本語文献でも示されるようにナガクチキムシという甲虫に関して論文も出すくらい(文献1)入れ込んでいて、農業化学に深入りしていったのもこのあたりの原体験がもとになっているのではないでしょうか。彼の収集した昆虫類はハイデルベルクのCarl Bosch Museumにはもちろんフランクフルトにあるゼンケンベルグ自然史協会(Senckenberg Gesellschaft für Naturforschung)にも保管されているようですから興味のある方は是非現地へ行ってお調べいただき、そしてお教えください。筆者のような三下勤め人には海外渡航は高嶺の花でなかなか行けないのですよ。

Carl Bosch MuseumにあるBoschが使っていた机と
その上にある昆虫収集箱 知り合いに頼み込んで撮ってもらった写真から引用

で、Boschの実家が配管製造業で家のそこら中に金属部品があって旋盤もあって昔から部品をいじり倒していたのは以前書いた通りですが、実は社会人になってしばらくしてからの結婚の新居にも作業台(eine Hobelbank・たぶんこういうやつ)と巨大な水槽(アクアリウム)を置き、当時相当高価な顕微鏡を買いこれらの趣味に勤しんでいたとのことでしたので、その趣味の度合いは筋金入りです。いくら将来有望な社会人と言え入社したてで薄給(auf das noch knappe Gehalt)の時に高価なもん買うたらキレられますよね、、、と思ったら奥さんのご機嫌とるために作業台とか顕微鏡回りが殺風景にならないよう気遣いはしていた記載がありました。ともかく家でもものづくりと生き物の収集、会社でも新技術・新製品開発とまぁ研究開発者の理想像みたいなことやってましたんですね。

また山登りは当時も今もドイツの国技で、(文献2)にはBoschと奥さんが山の途中の水場で一緒に休憩している写真があったりします。植物採集も同時に行っていたりして活発的。ただ底無しの体力とその好奇心から(文献2)には下記のような、一緒に行った友人が振り回されていたちょっとコミカルな場面の描写があったりします。

“Mensch, Hannes, so geschwitzt wie gestern hab’ ich schon lange nicht mehr. Immer wieder hat mich der ‘Alte’ gepiesackt! ‘Kennen Sie die Pflanze da? Nehmen Sie mal den Stein da weg! Wollen mal sehen, was darunter hervorkriecht. Was steigt denn dort fuer ein Vogel auf?’ So ging’s in einem fort. Und weiss der Teufel, der ‘Alte’ wusste immer besser Bescheid als ich!”

大意: “もうイヤだ、昨日俺がどんだけ汗かいたと思ってんだ! あのオッサン(Bosch)、俺のことを何回いたぶれば気が済むんだよ! あの植物を知ってるかだの、あっちの方にあるその石をもっかい採れだの、ちょっと岩の下になんか這って入ってったから見たいだの、あそこで飛んでる鳥は何だろう、だの、延々とそいつをやりやがる。しかも全部俺より物知りだときてるチクショー!”

壮年期のBoschのことを”Alte(爺さん)”って呼んでるところがなかなかツボです。なお筆者の古い知り合いに似た人(自転車の練習で一緒に富士山への舗装路を登っていて、道が開けてキツい登りが見えたところで”うわーおもしれー”って言って笑いながら加速していった変態)がいますが体力的にも能力的にもそういう人種だったのでしょう。ここらへん、知り合いに5人くらい似たような方がいるのでなんとなく推定できます。畢竟すごいとしか言いようがないのですが周りの人間はついていけないケースがあるということで!

家族:奥さん(Else Schilbach)と娘(Inge Bosch)と息子(Carl Bosch Jr.)と

その2“で示したBoschを含む5人兄弟の写真(↑・文献2)の中に、おひとり可愛らしい女の子がいました(椅子に座っている子)。Boschと7つ齢の離れたこの妹さんPaula Boschの友達が、のちのBoschの奥さんとなるElse Sielbachです。Boschは休暇や祝祭日によく実家に戻り妹弟と過ごしていたですが、そこに来ていた友人の一人だったとのことで。”その3“で書いたようにお付き合いし出したデート中に”Ich werde das Stickstoffproblem lösen!”といきなり町ん中で叫ぶBoschを支えたElse女史はその後もBoschを支え続け生涯を共にすることになります。当時東ドイツから勃興した製造業を営む著名なご家族の娘さんだったらしいのですが(文献1)、上記のような一見エキセントリックな部分があるBoschに、しかもアンモニア合成開発の前後4年間はほぼほぼ自宅に不在であったであろう彼によくついていったと思いますね。

(文献2)より Boschと奥さんのElse 1901年時点でのもの
よくまぁこんな写真が保存されていたものだと思う

結婚したのは上記の写真を撮った翌年の1902年5月3日、Boschの実家近くのKölnで挙式(文献2)。その後会社近くLudwigshafenのPrinzregentenstraßeにあるMietwohnung(賃貸アパート)で仮住まいを始めるのですが新居にいきなり作業台と大きな魚観賞用の水槽、そして当時は極めて高額な高性能顕微鏡も持ち込むという暴挙に出たのは上述のとおり。持ち込まれた奥さんのお気持ちを述べよ、と考えたらそりゃ他人事としては面白かっただろうなと。その後、現在でもBASFの本社のど真ん中にあるWöhler Straße沿いの社宅にアンモニア合成技術の開発中に家族で引越ししばらく住んだのちにHeidelbergのHausackerwegという道、Necker川のすぐ横に1913年あたりに土地を買い、ここに家を建てます。実はここは現在のCarl Bosch Museumがある坂道の少し下。本人がHeidelbergに住んでいた、というのは知っていましたが結局終の棲家のすぐ近くだったわけですね。

で、家族との仲は良かったようで、奥さんやご子息と一緒に写った写真が多数見受けられます(Getty Imageなど)。特にBASFの親分を務めるようになってから何度か赴いたアメリカ Standard Oilの石油施設視察では奥さん、ご子息を同行させたようですし。そうした中で筆者がどうしても欲しいのが、伯父のRobert BoschとCarl Boschが一緒に写った写真。あったとしてもプライベートなものなので一般には出回らないでしょうが、ドイツの化学の雄と機械の雄が揃って居るのを見ておきたいという、完全に個人的な嗜好によるもの。この2人の間でやり取りした書簡もきっと存在するはずなのですが、私信でしょうから管理されている財団などへ申請して取材許可を取らなあかんでしょうね。もう少し筆者のドイツ語が上達して、5年以内には頑張ってやってみたいところです。

伯父 Robert Bosch  (文献2)によると若い頃北米で悲惨な労働環境を経験し、デモ鎮圧時に労働者の殺害などを
目にしたことから”Ich möchte mich als Sozialist verleben”と後の奥さんに宣言するほど創業時から
労働者福祉・社会的福祉に積極的だったたことから”アカ(共産主義)のボッシュ” Der “Rote” Boschと呼ばれたほど

友人関係とこれからのお話

ほとんど友達いなかったみたいです。嘘です。親しい友人は何人かいて、鉄鋼版I.G.であるVereinigte Stahlwerkeの組長をはっていたAlbert Vöglerや登山仲間のWalter Voigtlaendner-Tztner(BASF社員だったもよう)とは比較的長いこと親交がありました。しかしそのVöglerをして1935年にようやく「なぁBosch君、ようやく友達っぽくなれたナァ(意訳)」と言わしめるくらいですから周囲に鉄壁のディフェンスを敷いていたと思われます(文献2)。特にアンモニア合成の開発初期にあった自宅パーティでの友人から何か僕らにお願いごとはないのか、と聞かれたBosch本人の回答が「とりあえず、お願いがあるとしたら『一人にしといてくれ』、だ」というぶった切る発言。友人の存在がほぼ皆無という、Boschとの唯一の共通点を持つ筆者が痺れた言葉でしたのでVöglerの嘆息たるや無理からぬ話です。

色々読んでいると、パーティやなんやかんやに出ていくより、自然の中で虫やカタツムリや植物を採集し、星を眺め、魚を取って家族と過ごしているほうがBosch本人には向いていたのでしょう。筆者がBoschの人となりに興味を惹かれるのも、職人然とし他人に靡かず自分の考えを貫くスタイルを一貫していたからだと思います。実際、社内でもかなり長期間付き合いのあった親方Julius Kranzや、部下のMittasch、Krauchらとはあくまで同僚で、もちろん彼らも死別の際は弔辞を書いたりはしているのですが何か一線を引いていたわけで。父親であるBoschは教育等に熱心で町の顔役として活躍していたのを考えると、それとはちょっと違うスタイルですね。

こうした充実した私生活を過ごしつつ化学戦闘集団BASF内のBrunck組組長のもとで技術的に大成功を収めた若頭のBoschはこの時がキャリア的にも最高点。この後は技術的なマネジメントも手掛けていきますが、筆者も正直書きたくない出来事、つまり1度目の戦争への加担、Oppau大爆発やI.G. Farbenへの発足と関与、そして2度目の戦争への暴力装置としての組織運営・陣頭指揮と加担についてを記述せねばなりません。これらの関係者の罪は決して消えることが無いですが、家庭と地位と一財産を築いた優秀な技術者達がそれらを捨ててでも全員が権力に対し歯向かえたかというと疑問があります。言い方は悪いですが代わりはいくらでもいますし、文化大革命のときの周恩来のようにうまく立ち回るのが関の山なのだと思います。

ただ、Boschほどの大人物があまりうれしくない最期を迎えるのはどうにも納得がいかない。この世は諸行無常で極端と我欲が身を亡ぼす、と2000年以上も前に条理を見抜いていたのはお釈迦様なのですが、それに歯向かってでも多少の条理を求めた結果の救いがないと普通の人たちは現世では報われんのじゃないですか、というのは筆者が思う道理で、俗物らしくそれに縋っていくしかないのでございます。

つまり正直に言うとここからのBoschは技術者としてあんまりいいことがない。実際には混乱と戦火と破滅の中で世界最大の化学会社の親分として剛腕をふるい、I.G.Farbenを発足させトップをつとめ、部下の面倒をみながら様々な新開発を成功させ自身はノーベル賞を受賞したりしたわけで、これだけ書くともう立身出世物語以外の何物でもないのですが、時代が時代で絶望的な状況に重なっていたのが不幸としか言いようがない。こういうことがわかっているので。。。とは言え書かにゃいかんのでしょう。相変わらず(文献2)に縋りっきりになりますがご容赦を。

加えてここからの彼(ら)の行動に技術者倫理とかあんまりありません。たとえ技術者に倫理があっても簡単に上位の意思やよくわからないものでペイっと跳ね飛ばされる。ドイツの第二次世界大戦の例やマンハッタン計画の例とか見てりゃ一目瞭然で、そもそも商売や戦争の最前線で戦っている人に道徳とか世界平和とか説いても通じないのと同じ。それらの善悪は筆者の判断の範疇を遥かに超えてますが、勝てば官軍負ければ賊軍というのは現況を見ていればよくわかりますね。もちろん筆者がBosch本人は良かれと思うもの、善なるものを信じていて自分たちの矜持を守るためにいくばくかのことはしたとは筆者は信じますが、願望でしかありません。祈ったらその手がふさがるから、その手にあるもので戦わなくちゃいかんと三浦建太朗さんが描いていたのと同じです。

ということで今回はこんなところで。次回はいよいよアンモニア量産化の成果によって役員まで昇進した後のBoschの活躍から書いていきますわ。

参考文献

1. “Carl Boschのナガクチキムシ”, 1990, ナガクチキムシ漫談(1) 水野, 北九州の昆蟲 37(3) 147-151

2. “Im Banne der Chemie   Carl Bosch  –Leben und Werke—“, Karl Holdermann, Econ Verlag 1953

 

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Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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